ブログお引越しのお知らせ
この度、ブログをお引越しすることにいたしました。
こちらは元々、ゲームブログを書くために使い始めたのですが、最近はリネもまったくやっておらず、ブログの内容はゲームとは関係ないことばかり。
別の場所で書くことが適当かなと思い、Tumblr.にお引越しします。
もしよろしければ、そちらのブログを読んでいただければ幸いです。
URLは http://akihiro555.tumblr.com/ になります。
いままで大変長い間、ユニコと一緒!をご愛読頂き、ありがとうございました。
映画「大津波のあとに」「槌音」を観て
衝撃的な3.11発生当日、私は東京にいました。
電車で1時間ほどかかる所に勤めている妻の安否も確認できず、不安を抱えながらも、娘と親戚の子供、親が帰宅困難者で行き場の無い子供達を自宅に集め、子供たちの世話と情報収集を行なっていました。
テレビではヘリからの空撮で信じられない高さの津波が、岸に向かって押し寄せてくる様子が次々と映し出され、絶句していました。
そして後日、続々と入ってくる信じられない被害状況。
幸い翌日には妻と会うことが出来ましたが。
勤務先で被災地支援が募られた時、支援職員として手を上げることに一切の躊躇はありませんでしたし、誰もが行くべきだと思いました。
しかし、様々な都合により、被災地支援に行くことに対して許可が出たのは5月末。
実際に現地に行くことが出来たのは7月下旬になってからでした。

東松島市大曲地区に打ち上げられた漁船
東松島市に派遣されたのですが、7月末でさえ、言葉では表せない信じられないような状況が東松島市にはありました。
車で支援業務の合間を縫って、石巻、女川、雄勝、歌津、南三陸、気仙沼と回りましたが、同じような状況がどこまで行っても広がっていました。
本当は発生直後に行って、お手伝いをしたかった。一番大変な状況をこの目で見て、そして現地の人達と頑張りたかった。
映画「大津波のあとに」は発生から11日後の様子を記録していると聞き、見に行かずにはいられませんでした。
私の娘も、東松島市派遣中に呼び寄せて被災地の様子を見せていたのですが、やはりこの映画も見せるべきだと思い、一緒に見に行きました。
単館上映の上、見られる方が非常に少ない映画だと思うので、思いっきりネタバレ有りで書きます。

震災から4ヵ月後の東松島市大曲地区
「大津波のあとに」
映画を観て、印象に残ったのは被災された方々の表情と言葉。
最初の登場人物は、おそらく野蒜の方だと思いますが、家も流され、妻が抱いていた3ヶ月の赤ん坊が妻の手から流されしまった男性が語るシーン。
語ってくれる方は、いかにも愛想良く、まるでいい天気ですねと話すようにニコニコとしているけど、どこか夢を見ているような表情で語るのを見て、この方はあまりにも沢山の悲しい事が起こりすぎて、理解出来ず、自分の心を扱い兼ねているのだろうと思いました。
感情の振れ幅が大きすぎて、どうしていいのかわからない。
あまりに悲しみが極まった時、人は泣くのではなく、笑ってしまうのだと悲しくなりました。
東松島市ではこの方だけで、野蒜駅の様子等が映し出されていましたが、その一本裏の通りにある野蒜小学校の様子や宮戸島、大曲の様子も見たかったと思いました。
ただ、この映画を撮ってた時は、宮戸島に渡る橋は落ちていたし、大曲はとてもカメラが踏み込めるような状況ではなかったでしょうが…。

雄勝。公民館の上に大型バスが打ち上げられている。
次の登場人物は、石巻市湊小学校の裏手のお寺の奥様。
私はこの方の話が一番印象に残りました。
地震発生後、近所の方たちを集めて対応していたが、あちこちで石油ストーブの転倒によると思われる火事が発生したこと。
その時、津波だ!逃げろ!の声を聞いて、両親すらも置いて逃げざるをえなかったと語ってくれた、無念そうな、自分だけが生き残って申し訳ないという罪悪感に満ちた表情。
私は昔から「津波てんでんこ」というから、仕方なかったんだと伝えたい気持ちでしたが、伝わるはずもなく…。
また何もなくしていない私が言えるようなセリフでもなく…。
でもこの奥様のセリフで感動したのは
「どこかでまた同じことが起こったなら、私達が真っ先に助けに行く!だって何が必要なのか、私達が一番知ってるから。」
という言葉でした。
自分だけ生き残ってしまった気持ちや、なくしてしまった、かけがえのない大切なものの数々。
そういう物を抱えながらも、もし他に困った人たちがいれば助けようという、強い気持ち。
例え、自分たちがいま助けて欲しいという気持ちの裏返しだったとしても、強く尊い気持ち。
人は強い!復興は必ずなる!と確信しました。
娘は湊小学校の卒業式が一番印象に残ったそうです。
「先生からみんなに出す最後の宿題。みんなが20歳になった年の3月11日、ここに来て、その後の人生をどう生きたか教えて下さい。日本中どこにいても、外国にいても必ず来てください。」
という言葉。
万感の思いを込めた
「卒業、おめでとうござます。」
の言葉。
涙が止まりませんでした。
映画は大川小学校に変わり、子供を無くしてしまった親たちの顔。卒業証書を瓦礫の中から探すその気持ち。
一つ一つが心に突き刺さり、涙無くしては見れませんでした。
ところで私は、被災地の方と話すとき、どうしても気後れします。
それは下手な同情などできない程の被害となくしたものを持たない私が、被害について聞く時、どのように聞けば良いのだろうか?
いつも、その思いが心をよぎります。
私は義援金の受付をする関係上、どうしても聞かなければならないので、感情を交えず事務的対応に徹しきって質問していましたが、いつも苦しかった。
映像を見ていて、森本監督も同じ思いだったのではないだろうか?と感じていました。
それは、被災者に対して全員無事なんですか?と確認する時の呼吸や声でなんとなく感じ取りました。
その度、監督も辛いだろう、でもこの状況を知らない人に伝えるため、頑張れと思いました。
作り事もドラマティックに盛り上げるための演出も何もない、だからこそ訴えかける事実。
どうか一人でも多くの人に見て欲しいと思います。

歌津。落ちた気仙沼線。
「槌音」
最初は、「大津波のあとに槌音」という映画だと思っていたのです(笑)
その印象もあって、被害から復興していく様子を写した映画だと思ったのですが…。
題名の意味は、大槌町の音でした。
舞台は、やはり大きな被害を受けた岩手県上閉伊郡大槌町。
その大槌町で生まれ育った方が撮った作品で、震災前の風景とそこにあった音、それを震災後の風景に重ねあわせた映画でした。
東松島市で野蒜を見るたび、震災を乗り越えてさえ、これだけ美しい所なんだから、震災前はどれほど美しい所なんだろうと、いつも思っていました。
しかし、震災後に初めて訪れた私には、震災前を思い出す縁がありません。
私が東松島、石巻、女川、雄勝、歌津、南三陸を訪れた時、被災状況をたくさん写真に収めたのですが、写真を整理するフォルダに名前をつけておかないと、どこの写真かわかりません。
すべて瓦礫の風景ですから。
本当は一つ一つ違う風景の町だったはず。
それを津波はすべて無くしてしまいました。
だから、震災前の風景とその後の風景を見たいと切望していました。
ですから、「槌音」はまさに私の見たかった映画でした。
楽しい近所の方やこどもを集めたバーベキューの様子を写した映像から、音だけはバーベキュー興じる楽しげな声を残したまま、映像は震災後の同じ場所の映像に切り替わります。
同じ場所とわかっていても、信じられません。
どこか別の場所を写したのではないかとしか思えません。
その後も同じように、大槌町の盛大な夏祭りの様子から、音だけを残したまま今の風景へ。
楽しい仲間たちを見送る駅のプラットホームの風景から、音だけを残したまま今の駅舎の風景へ。
そして…。
一家四人と猫で楽しく暮らしていた自宅を写したホームビデオの映像から、同じ建物とは到底思えないほど変わり果てた現在の自宅風景へ。

何もなくなってしまった女川。
震災前の楽しげな様子と音が、なによりも雄弁に撮影者の無念を物語っていました。
とても小さな劇場でかかった日本の映画。東京では今日で終わりだそうですが、これから全国巡回される様子。
どうか一人でも多くの人に見てもらいたい映画でした。
映画の公式サイトのURLを貼ります。
http://fartheron.soragoto.net/index.html
本文中の写真は私のスマートフォンで撮ったものです。
久し振りに書くと
昨日の記事を読み返してみると、あららという感じですw
久し振りに書いたせいで力の抜き加減がわからず、実は続きを読むの先の分量は、掲載したものを5倍以上あり、
「ここで論文書いてどうすんだよ!」
と一人突っ込みをした挙句、削ってしまい、昨日の記事となっております。
だけど…。
言葉を狩られるということ。
その危険性だけは常に自覚しておこうと思います。
聴覚障害の分類で、聾唖という言葉があります。
聾(ろう)というのは耳が聞こえないこと、唖(あ)とは話せないことをいいます。
しかし聾唖というのが今は差別語の一つとなっています。
正しい言い方は聾といいます。
耳が聞こえないから言語を獲得できず、話せないのであって、声を出す器官や能力に問題があるわけではないからだそうです。
聴覚障害であっても、日本語を獲得してから聴力を失った中途失聴や、耳が聞こえなくても努力して口語を獲得した方もいらっしゃいます。
耳が聞こえなかくて、さらに教育も受けられなくて言語を獲得できなかった方もいます。
この二者はあきらかに日常生活を送る上で、差があります。
その差に目を瞑り、一括りにするほうが差別ではないかと思います。
最初はこんな小さな言葉を禁止語にするだけでした。
そこからどんどんと規制が始まり、ついには聴覚障害者に関するエピソードが削られる世の中にまでなってしまいました。
実際には、昨日のヒロインがTVで放映されなかったのは言葉以外の要因もたくさんあります。
でもその中には、間違いなく障害者関係は差別問題がうるさいから外すという判断の中には、このような言葉の問題があることも事実です。
そして怖いのは…。
言葉を安易に禁止することによって、その言葉で表現される人たちが、ついに表現されなくなっていく。
表現されない人たちは社会的に抹殺されるのにも等しいことです。
やはり図書館内乱のヒロインの言葉が繰り返し、心の中でリフレインしています。