『遠い空の向こうに』 ものぐさ映画レビュー
9月だというのになぜか大掃除しました艾です。
いやあ去年の年末にはやってなかっただけに
ものっそい汚れがたまってました
特に台所!
基本的に料理はできない俺ですが・・・
チャーハン
オムライス
オムレツ
スクランブルエッグ
等々油を使った簡単な料理だけならできるんで
男の料理はダイナミックさが売りなわけで
コンロ周辺に油がべっとりついててもう・・・
まあ部屋には煙草のヤニがベットリっていうかまっ黄色ですがー
さて本題です
今回もヒューマンドラマ系なんですが、今回の作品は前回とりあげた『ブロークバック・マウンテン』でジャックを演じたジェイク・ギレンホールが主演している『遠い空の向こうに』です
前回のレビューでは触れませんでしたが、このジェイク・ギレンホール、何か独特のクセを感じさせます
特にその笑顔
『ブロークバック・マウンテン』はテーマが男性同士の同性愛でしたが、社会的にもタブーであるだけに、ジェイク・ギレンホールのクセのある笑顔が何ともはまり役だった気がしました
てなわけで彼が出演している他の作品が見てみたくなり、若い頃の(まだ若いけど)主演作である『遠い空のむこう』を観てみました
ではキャスティング
原作は
ホーマー・ヒッカム・Jr
監督は
ジョー・ジョンストン
ソ連が打ち上げた衛星スプートニクをみたことからロケット製作に取りつかれたホーマー・ヒッカムを
ジェイク・ギレンホール
ホーマーの父親で炭鉱の責任者のジョン・ヒッカムを
クリス・クーパー
ホーマーの友人で共にロケット製作をすることになるオデールを
チャド・リンドバーグ
同じく友人でロケット製作をするロイ・リーを
ウィリアム・スコット・リー
ホーマーと同じ高校に通う数学の秀才で嫌われ者のクエンティンを
クリス・オーウェン
ホーマーが通う高校の物理教師でロケット製作を応援するミス・ライリーを
ローラ・ダーン
ストーリーは
1957年ソ連は人類初の人工衛星の開発に成功する
ソ連と競ってロケット開発に打ち込んできたアメリカは破れ、国民は落胆し、同時にソ連からのロケット攻撃を心配するようになる
炭鉱町コールウッドに住む高校生ホーマーはそんな大人達を横に、夜空を横切るスプートニクを見て自分もロケットを製作しようという夢を抱くようになる
友人であるオデールとロイ・リーを巻き込みロケット製作を始めるがうまくいかず、同じ高校に通う、数学の秀才だが嫌われ者でいつも1人でいるクェンティンに相談し共にロケット製作を進める
ホーマーが通う高校の物理教師のミス・ライリーの様に、徐々に彼らを応援する大人たちも増えてき、ロケット製作も軌道に乗るかと思われた矢先、実験で落下したロケットが山火事を起こしたと疑われ、ロケット製作を禁止されてしまう
同じ時にホーマーの父親ジョンが炭鉱の落盤事故に巻き込まれ重傷を負い、家族を支えるためにホーマーは高校を辞め、炭鉱で働くことになる・・・
ジャンルは事実を基にしたヒューマンドラマ
原作者であるホーマー・ヒッカム・Jrの自伝的小説『ロケット・ボーイズ』の映画化です
では感想ですが・・・
久々なんですが・・・
ラスト付近は号泣して字幕が観えませんでした
実に爽快
実に気持ちがいい
脚本も演出も役者の演技も実に完成度が高いです
『事実は小説よりも奇なり』とはいいますが
・ロケット製作の成功とコンテストへの出場という夢
・理解を示してくれない父親との葛藤
・炭鉱町から抜け出す為というある意味アメリカンドリーム
・父親の怪我からのロケット製作への挫折
・応援してくれた恩師との別れ
ストーリー的にも実際に起こったとは思えないほどにドラマチック
実はこの作品っていくつか重い問題を抱えていて、重いイメージに作ろうと思えばいくらでもできたと思います
まずホーマーたちが住む炭鉱町のコールウッドですが、石炭から他の燃料が主流となりつつある時代で、町の全盛期はすでに過ぎ、ラストで分かりますがその後閉山を迎えます
これは想像ですが、作中でちらりとだけでる『ウェルチ』と呼ばれる地域の存在ですが、鉱山町という一般的には下層に位置づけされる地域と、そうではない人達が住むウェルチ
主人公達はコールドウッドで生まれ育った劣等感とウェルチという地域に住む人達への羨望と妬みのようなものを持っているように感じさせます
そんな主人公達も大人になれば鉱山夫となる事が当たり前だと教えられ、本人達も嫌だとは思いつつもそうなることが当たり前だと思っています
ホーマー自身は家庭的には問題はなさそうに見えますが、鉱山責任者である父親はホーマーのロケット製作に理解を示さず、ホーマーの兄の様にアメフトの選手として成功しない限りは鉱山夫になる事こそが幸せなんだと頑なに信じているような昔堅気の職人気質な男です
ホーマーの友人であるロイ・リーもオデールも父親は鉱山夫で、しかも鉱山での事故で死んでいます
オデールは足が不自由で、町から出る唯一の希望であるアメフトもできず、たぶん鉱山夫になる事も叶わないんじゃないでしょうか
ロイ・リーにしてみても、母親の再婚相手である義父は酒浸りの生活で、山火事疑惑をかけられた時もロイ・リーを信じるどころか殴り続けるような最低な男
最後に友人となるクェンティンも、完全に語られるわけではないですが、家庭は貧しくとても恵まれた環境で生きているようには見えません
それに学校では変人扱いされ、ホーマーが近づくまで友人もいなかった様に見えます
なによりもホーマー達のロケット製作を応援し、彼らを信じ続けてくれた恩師であるミス・ライリーの死
季節も秋から冬で、イメージ的にもとても明るいとは言えないんですが、決してそれを強く押しつける事もそこを中心にすることもなく、物語の軸としては主人公ホーマーのまっすぐで爽やかな情熱です
なによりクセがあると感じていたジェイク・ギレンホールの笑顔が、まっすぐに夢を追い続けるホーマーに実にはまってます
決して人間の本質をつくといった、魂を揺さぶるような感動が得られるわけではないし、大金持ちになったり大成功するといったアメリカンドリームでもないですが、一人の高校生が夢を叶えていく過程での第一歩である部分を実にバランスよく表現していて、完成度が高い作品でした
ラスト付近は号泣していましたが、決してお涙頂戴というわけでもなく、単純なハッピーエンドだけではない物悲しさを与えてくれたと思います
原作は教科書にも載っているらしいですが、それを題材にしたこの作品も実に清々しく、大人なら過ぎ去った青春時代を思い出し、若い人ならこれからの人生を歩む上でプラスになるような、そんな作品でした
『ブロークバック・マウンテン』 ものぐさ映画レビュー
いま最大の関心事は、サブプライム問題です艾です。
まあ稼がせてもらったんですがー
1つの山場は越えつつあるわけですが、市場は完全にはその不信感を払拭できていないわけで、10月のG7までは気が抜けない情勢なわけで、日本の利上げのタイミングもそこに掛っている訳で・・・
って語りだしたら止まらないなこれ・・・
さて本題です
ジャンルももちろんヒューマンドラマ・・・
と言いたいところですが、ラブロマンス的なヒューマンドラマである
『ブロークバック・マウンテン』です
前回のレビューでとりあえずた『推手』の監督であるアン・リーの作品で、かなりセンセーショナルな内容です
この作品でアン・リーはアジア人初のアカデミー監督賞を受賞してます
今回は珍しく話を横にそらせることなくキャスティング
監督は
アン・リー
仕事を求めブロークバック・マウンテンにやってきたカウボーイ・イニスを
ヒース・レジャー
イニスの同僚で元ロデオボーイのカウボーイ・ジャックを
ジェイク・ギレンホール
イニスの妻アルマを
ミシェル・ウィリアムズ
ジャックの妻で元ロデオガールのラリーンを
アン・ハサウェイ
離婚後のイニスの恋人でウェイトレスのキャシーを
リンダ・カーデリーニ
イニスとアルマの娘のアルマJrを
ケイト・マーラ
ストーリーは
1960年代、イニスとジャックは仕事欲しさにブロークバック・マウンテンにやってくる
イニスは仕事を無事終えれば結婚する予定、ジャックは去年もブロークバック・マウンテンにやってきた元ロデオボーイ
過酷な環境で二人は黙々と仕事をこなすが、二人っきりの生活の中で徐々に心を通わせるようになる
そんな生活の中、ある晩ふとしたことから二人は肉体関係を持ってしまう
お互いにゲイではない事から一度限りの事だったと割り切ろうとするが、その後も肉体関係を続けてしまう
そしてブロークバック・マウンテンでの仕事が終わり二人は離ればなれになる
数年が過ぎそれぞれ結婚し家庭を持つが、ついにジャックがイニスにあてて会いたいという手紙を送る
再会した二人は激しく愛し合い、その後20年間も関係を続ける事となる
ジャンルとしては、あえてラブロマンスとします
男性同士の愛情を描いた作品です
さて感想ですが
いきなり最初に言えば、名作といえる出来だと思います
ですが、やはりその内容から単なる映画作品とは見られないようで、この作品の批評も賛否両論分けれているばかりか、多くのパロディー作品も生まれているようで・・・そちらについてはあまり語りたいとは思いません
正直なところを言えば、俺自身も見ていてあまり良い気持ではないシーンも少なからずありました
こんな事を書いてしまうこと自体がこの作品を真に評価していないとわかりつつ書いておきますが
俺自身は同性愛者ではありませんが、自分とは違う愛情を持つ人達がいることも知ってますし、その立場は認めるべきだと考えています
ただ自分がもしこの作品の主人公たちと同じ境遇におかれたとして、はたして同じような感情を抱くか、というところにはかなりの抵抗感を感じます
まあ俺自身の下らない感情を書いても仕方がないので話を戻すと
本当に人間とは愚かで、自分自身愚かだと分かっていてもそれをやめることはできない
かといって自分自身の気持ちに正直に生きる勇気を持つということは本当に難しい
これがこの作品への感想です
男性同士の愛情というタブーを犯しながらも、素直にそれを受け入れて生きることもできず、かと言って完全に拒絶する生き方もできない
主人公であるイニスとジャックはまさにそんな人生を送ることになりますが、だからこそ人間であり、たまらないほどの人間臭さじゃないでしょうか
例によってこの作品の感想や批評をネット等で読んでみましたが
男性同士の愛情に拒否感を示すというものは横においておくとすれば、多くみられたのはイニスとジャックの愛情を認めるが故に、二人は家族を裏切り続けて生きているというところへの批判でした
でもだからこそ、その苦悩と二人が犯したタブーというものの大きさがあらされているんじゃないでしょうか
それに結果的にはイニスはジャックへの愛情だけを心に秘めて生きることを選択しているようにみえます
ではこの二人の愛とは真の愛だったのか?と言えば最初はノー、で最終的にはイエス
まあ俺自身の恋愛論からですが、始まりからして真の愛などというものは存在しないんじゃないでしょうか
まあ出会って数ヶ月で真の愛情が芽生えるなんて人達もいれば、長年連れ添い、晩年になって初めて真の愛に目覚める夫婦ってのもいると思います
イニスとジャックの愛情を見る限りでは、作品後半になって初めて真の愛が芽生えたんじゃないかと思います
まず二人が関係を持つことになった環境ですが、二人っきりの状況でお互いにあまり幸せとは言えない人生を送ってきたという共感
それがいつしか愛情へと変わっていった・・・訳ではなく、二人の関係の始まりはあくまでも肉体関係が始まりであり、誘ったのはジャックで、イニスはそれに衝動的にでしょうが答えてしまう
この作品で一番の疑問点がこのシーンにあるんですが、のちに二人は同性愛者ではないと告白しあいます
はたしてそうだったんでしょうか?イニスの言葉にウソは感じませんが、はたしてジャックはどうだったのか?
イニス以前にも関係をもった相手がいたのかどうかはわかりませんが、作中から感じたジャックの印象は、同性愛に対して多少は近いものを感じるような人物だったんじゃないかということです
だからといって、それっぽいジャックだったからそうなったんだとは思いません
二人にとっても同性愛というものはタブーであるわけで、どうやってその一線を越えて気持ちを通じ合わせていくのか、その点こそがこの作品の一番最初の大事な部分であり、作品を通してほぼイニスの視点で描かれているだけに、もう少しジャックの心情が、関係を持つ以前のジャックの心情が見えればより良かったんじゃないかと思います
その後二人は別れて生きていくわけですが、そのまま二度と気持ちを通わせることなく生きることもできたんでしょうが、ジャックから再会を求められてイニスはまたしても答えてしまう
だからと言って二人の気持ちが真の愛に変わったんだとは思いません
山を降りた後はイニスの視点が中心にはなっていますが、ジャックのその後を見る限りでは、イニスへの気持ちからなのか、男性を求めるような行動をちらりと見せています
そして二人は再会し、人目をはばかりながらその後も関係を持ち続けてしまう
結局先に破たんしたのはイニスの人生で、イニスの妻に二人の関係を見られてしまい離婚します
だからと言って二人が結ばれることもなくそのまま別の人生を歩み続けます
ジャックの心情がもう少し見られるような、ジャックの視点があれば、とは書きましたが、イニスを中心にすることでイニスがその後悩み苦しみ続けることが本当によくわかります
離婚した後も女性の恋人を持つイニスですが、結局長続きせず、かといってジャックとの関係を進めるどころか徐々に会う回数を減らそうとします
結局二人はそのことについてぶつかるわけですが、そこではイニスの苦しみだけが強調されただけで、ジャックの心情はイニスへの愛情を持っているというだけにしか見えません
今回は完全なネタばれは避けておきますが
最終場面でイニスはジャックへの気持ちを正直に受け止めています
それこそがイニスにとっての真の愛情の芽生えだったんじゃないかと思います
結局ジャックの気持ちははっきりせずに終わってしまいましたが、自分の気持ちに正直に生きたジャックと、タブーを乗り越えることにためらい続けたイニス
扱ったテーマはかなりセンセーショナルなものでしょうが、苦悩し続ける人間、自分の気持ちのままに生きることの難しさ、これはなにも同性愛にかぎった事ではなく、人が人として生きることとはそういったことなんじゃないでしょうか
『推手』 ものぐさ映画レビュー
引っ越そうか悩み中です艾です。
リアル住居じゃなくブログです
って言うか
ブログじゃなくサイト持った方が良いんじゃないかって気がしてきたわけで
いい加減ネトゲツール系のマルチ宣伝書き込みとかもウザイし
まあ元々サイト管理者の方が長かったりするわけですが
うーんどうしよう
まあブログですら1カ月以上更新しないのに何言ってんだって感じですが
っていうか忙しくてそれすらきちんと考えられない日々ですがー
ハイ本題です
ここにきてやっと一番好きなジャンルであるヒューマンドラマ系の作品です
台湾出身の監督アン・リーの長編処女作である『推手』です
ちなみに『グリーン・ディスティニー』とか『ハルク』の監督
特に観ようと思っていた作品って訳じゃないんですが
実はTUTAYAに『上海家族』を借りに行った時に
隣に置いてあった作品がこれで思わず衝動借りしました
しかも『上海家族』の方は借りてないし
まあこの作品、特に話題作でもヒット作でもないですが
久々に俺的ヒット作てな感じです
アン・リー監督作については『グリーンディスティニー』しか観たことなかったんですが
ストーリーは良かったのにワイヤーアクションに拘りすぎてて
まあはっきりいって評価低かったです
なだけに他の作品もどっちかといえばアクション要素の強い監督なんだろうってイメージ持ってたんですが
いや実にイイ意味で裏切られました
てな訳でアン・リー監督作品にちょっとハマり気味です
この『推手』を観たのは5月ぐらいなんですが
最近『ブロークバック・マウンテン』も観ました
そちらも今度レビュー書こうと思ってます
いつも通り話が横にそれたところでキャスティング
監督・脚本は
アン・リー
老太極拳家の朱老人を
ラン・シャン
朱老人と同じ中国人学校で料理を教えている陳夫人を
ワン・ライ
朱老人の息子アレックスを
ワン・ポー・チャオ
アレックスの妻マーサを
デブ・スナイダー
ストーリーは
アメリカでコンピューター技師として成功した息子アレックスを頼って朱老人がアメリカにわたって1カ月がたった
アレックスの妻マーサは作家の卵として日々執筆に追われる毎日
英語が全く話せない朱老人に対し、作家デビューへのプレッシャーを抱えるマーサは同じ家で暮しながらも、心が通うどころかストレスをためるばかり
朱老人のわずかな楽しみは中国人学校で太極拳を教えることだけ
その中国人教室で料理を教える陳夫人も朱老人と同じような境遇
親との同居を望みつつも、妻の要望から父親の独立を願うことになるアレックスは
陳夫人の娘と計って二人を接近させるようとする・・・
ジャンルとしては。ヒューマンドラマです
展開はあくまでも淡々と進行し、派手なシーンはほとんどない作品です
さて感想ですが
アメリカという異国で成功を収めた息子を頼り、年老いた親が新たな土地で生活を始める
細かい状況に違いはあれど、現代の日本でも問題となっている核家族化を描い
ていると思うのですが、日本の場合だと元々近代に入ってから核家族化が進んだというよりも、江戸時代から核家族というものが一般的だったそうです
しかし昔と今との大きな違いっていうのは、日本本来の血族としての結びつきの変化や、隣人との関わり方といった、最小単位での家族と、それ以外との精神的な結びつきの希薄さにあるんじゃないでしょうか
中国は伝統的に血族間の結びつきが強いということですが、押し寄せる近代化の波や、都市部と地方部での文化の変化の差といったことから核家族化が徐々に問題となっているらしいです
この作品では、異国という全くの異文化を土台にした家族内での結びつきを描いているように感じました
では内容について
主人公達は基本的にはそれぞれに幸せな同居を望みながらも、どこか歯車が合わず、お互いの関係はぎくしゃくしつづけます
朱老人はアレックスの妻であるマーサを『この女』と呼び、息子の妻として認めているようには思えません
マーサは朱老人とうまくいくように『努力した』と言いますが、プロの作家への夢がかなうかもしれないというプレッシャーを抱えた生活の中で果たしてどこまでの努力ができていたのかは疑問です
父親と妻という関係の中で中立な立場に置かれる息子アレックスも、うまく事が行くようにとは考えますが、では何か行動を起こすのかといえば、父親を中国人学校へ連れて行くことだけ
徐々にマーサは朱老人の独立を望むようになり、年老いて英語も話せない父親を独立させることへ不安を感じるアレックスも、朱老人と同じように子供を頼ってアメリカに渡ってきた陳夫人と父親を結びつけることでの独立を望むようになります
朱老人自身も陳夫人へのほのかな好意を感じているようで、息子の思惑通りに事が進むかと思われますが、陳夫人がそのことを知ってしまい、自身の誇りを傷つけられたと泣き崩れます
そこで初めて朱老人も、自分が息子にとって負担になっているのだと確信し、姿を消すということで独立を果たすこととなります
朱老人が独立することで、結果的に息子夫婦が望んだ結果となるわけですが、その実態は中国人街の中国料理店で皿洗いをしながら、薄汚れた狭いアパートで寝起きをするという生活で、物質的な環境だけを見れば息子の家庭に同居している方がはるかに幸せに見えます
この朱老人ですが、作中通してほとんど自分の気持ちを言葉に表すことはありません
若い頃に起こった文化大革命で妻を失い、それ以来ずっと悔みながら生き、わずかな望みは息子が立派に成長すること
そんな人生を歩んだ老人が、年老いて異国に住む息子の世話になる
はたして彼は幸せなのか?何を目的としてこれから生きていくのか?
この部分を朱老人自身が語ることはありませんが、同じような境遇にある陳夫人の言葉からわかります
『誇りを捨ててまでは生きていけない』
これこそが表面的な関係や物質的な幸せではない、人間が人間として生きるために必要な尊厳ではないのでしょうか
作品を見る限りでは朱老人の人生とは、妻を失って以来流され続けてきたように思えます
息子を立派に成長させるという望みだけが存在し、世俗的な物(社会的な地位や富)への関心はほぼなかったのではないでしょうか
そして心の拠り所としてあったのが太極拳だったんじゃないでしょうか
陳夫人の嘆きを見て初めて朱老人は精神的な誇りを持った独立を考え、行動したんじゃないかと思います
ラストはそれなりにハッピーエンドを迎えるようには見えますが、決して根本的な部分での解決を迎えるのではなく、あくまでも表面的な、物質的なハッピーエンドを迎えるにとどまっているように感じました
なだけにこの作品が訴える問題の根深さと怖さを感じました
決して派手な展開や劇的な感動はありませんが
淡々とした物語の中で人間の本質を描いた様に思えるこの作品はまさに秀逸だと思います
『バベル』 ものぐさ映画レビュー
はいネトゲ引退しました艾です。
ってかバーチャルじゃなくて実際に口座開いちゃった
1ヶ月で10万の儲けとかアリエナーイヽ(´▽`)ノ
より本気に・・
さて本題です
いろいろ話題になってる『バベル』観てまいりました
長くなりそうなのでキャスティングとかは今回ナシで
最初にチラッとまとめると
難解だという評判ですが、タイトルから想像できるイメージ通りの分かりやすい作品だったと思ってます
タイトルに使われている『バベル』もそうですが、キーワードは聖書じゃないでしょうか
そう言ったところから見ても、心に神を持たない民族といわれている日本人には共感しにくい内容かもしれません
まずはそのタイトルである『バベル』について
俺的前知識としては
旧約聖書に出てくるバベルの塔の話で
はるか昔、人々は神が住む天へ近づこうとしてバベルという町に塔を建て始めた
神はそんな人間のおごり高ぶった振る舞いに怒り
塔を壊し再びこんな事を起こさないように人々の言葉を乱した
てな所でした
実は本当の所
人間達は
自分達が世界中に散らばらないようにと、その象徴として塔を建て始めた
神は塔など壊していないし
ただ言葉を乱し、人間を世界中に散らばらせた
そして、バベルという町に塔を建て始めたのではなく
神が言葉を乱した後にバベルと呼ぶようになった
らしいです
まあバベル=バビロンとか色々話は広がって行くみたいですが
その辺は作品とはあまり関係がなさそうなのでナシで
まあ細かい部分の違いはあれど、バベルから想像するものと言えば
やはり言葉の違いじゃないでしょうか
実はもう1つ意味があり、最後まで見終わって感じていた部分への説明として納得できるものがありましたが、それは後で
さて内容についてですが、舞台としてはモロッコ・アメリカ・メキシコ・日本の4カ国です
まずそこで4ヶ国語という言語の違いがあり
地域・環境・風習の違いってのがあると思います
展開としても時間系列は無視した上で、4カ国の場面が入れ替わりに出てきます
ストーリーとしては、終盤になるまで4つのストーリーの関連性はあまり見えてこず、その1つ1つに多少意味があると思われる程度で、あくまでも進行は淡々としてます
そう言った展開なので、全体的には盛り上がりに欠けるため、単調な印象を受けるんじゃないでしょうか
ぶっちゃけた話、こういった展開の作品を見慣れていないと退屈にしか感じないかもしれません
4つの物語からあえてメリハリがある展開を見せる物を選ぶと、モロッコ編と日本編になりますが、そのメリハリと言ってもこの作品の中でのメリハリと言う程度で、刺激を求めたとしても満足しないと思います
しかしその退屈な進行というものは演出であり、それぞれの物語をあえて抑え目にするからこそ、1つの物語に繋がった後に真のメッセージが現れてくるんでしょう
ではその真のメッセージとは
俺的解釈ですが
ここから完全なネタバレ
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・
・・・・・
・・・・
・・・
・・
・
真のメッセージとは、そのタイトルにも関わってくるキーワード『聖書』にあると思います
それこそがバベルのイメージである言語の違い
そしてそこから更にイメージできるものこそがコミュニケーション
つまり今の世界は国と言う縛りにくくられていますが
それを聖書に出てくるバベルになぞらえて、太古の人間は1つになろうとバベルの塔を作ったのに対し、神の力により世界中へと散らばった今の人間達
言語や民族・国の違いの中で如何にコミュニケーションをとっているのか
それぞれの物語から説明すると
モロッコを訪れたアメリカ人夫婦ですが、説明らしい説明は入りませんが、どうも子供を亡くしたようで、そのことが原因で夫婦関係がしっくりきてない様です
愛し合ってはいるのだけど、お互いの気持ちが通じ合ってはいない
人間対人間、男対女
その間でのコミュニケーション
他にも、主人公のアメリカ人夫婦が乗るバスがとある村にたどり着く事になるのですが、バスに乗っている観光客達は言葉通じぬ村人達を恐れ、早くそこから立ち去ろうとします
乗客が狙撃されて負傷した事や、欧米各国への中東圏の人々が持っているイメージと言う背景もあるでしょうが、言葉が通じない中東の国の田舎の村、そこの村人達とは同じ人間でありながらも、欧米人達にとっては脅威なのでしょう
言葉が通じれば状況も変わるのかもしれませんが、結局彼らは主人公である夫婦を置いて逃げてしまいます
主人公夫婦の関係や観光客と村の住人の関係
これを単純に見るのではなく、夫婦間の問題や現代の世界が抱えている背景を現すことこそが、ミクロレベルでの人間関係、マクロレベルでの国家関係、それぞれのコミュニケーションを現したかったんじゃないでしょうか
次に日本編ですが
主人公の聾唖の少女は常に苛立っており、やはり、その理由もはっきりとは語られません、想像するところ、思春期と言う多感な時期に母親を失い、聾唖と言うハンディキャップの為に周りの人達に素直に溶け込めずにいる(溶け込ませてくれない環境であるとも思いますが)
その為に少女は体を晒す事によりコミュニケーションをとろうとしますが
その行為自体が彼女を傷つけている事だと自覚しているように見えます
しかしそれ以外に彼女には考え付かないのかもしれません
たった1人の理解者であるはずの父親にも心を開いているようには見えず、親子の関係性もしっくりきてないようです
聾唖の少女が健常者とのコミュニケーションをどうやってとるか
ハンディキャップの上に、母親を失ったと言う共通の傷を持つ父親とのコミュニケーション
(最近知りましたが、裏の設定で実はこの親子は近親相姦なんだそうです。それを知った母親は自殺してしまうと言うことらしいですが、当然作中ではそれらしい説明は一切無いです)
コミュニケーションと言うことでは日本編が一番分かりやすく
そして一番納得できないところでもありますが、それは後で
それ以外にもコミュニケーションや言語の違い民族・地域・国の違いと言うことを意識してみれば、メキシコ編でも多く見られます
そしてそのコミュニケーションを淡々と描きながら
『バベル』と言う言葉のもう1つの意味である混沌を描いているのではないでしょうか
混沌と言っても、決してストレートに表現するのではなく、聖書的な規律とモラルからみて、それぞれの物語の主人公達が犯す罪とその代償としての罰を淡々と描いている様に見えました
それらを通して現在社会の混沌を描いていたように思えます
モロッコ編では
実の姉の着替えを覗いて自慰にふける少年、そして弟に覗かれている事を姉は知っています
羊を襲うコヨーテを殺すためにと父親に渡された銃でバスを撃ってしまう少年
それがきっかけとなり兄は死んでしまう事になります
日本編では
少女が必死に取る他者とのコミュニケーションである体の関係
ドラッグらしきものを簡単に口にし、酒を飲み、快楽に溺れる少女達(あくまでも聖書的な基準なので現代人の俺的にはやや行き過ぎと思える程度でそんなに不純な行為とも思えませんでしたが、そう思うことこそがメッセージなのかもしれないです)
罪と罰と言う視点で観るとやはりメキシコ編でも気になるところがありました
まとめてみると
聖書にでてくるバベルという物を題材にして、現代の世界における人間や民族でのコミュニケーションとしての触れ合い
そしてそれへの1つの解釈としての混沌とした世界と、日々繰り返される罪と罰
全体を1つの物語としてまとめたとしても、特にその物語に特別なメッセージがこめられているのではなく、ごく当たり前のように世界中で起こる些細な罪と罰を、4カ国の地域と人種を通して描いただけなんでしょう
感想としては、メッセージ性は感じましたが、特に強いものだったとは思えませんでした
あくまでも淡々と描くことで、聖書と言う1つの世界的な基準をフィルターにして現代の世界を描いて見せた、とも思えましたし
少し視点を変えてみれば、そもそもこの物語を生み出した大元である言語と地域の違い、それを生み出した神に対して、神の行いによって地上の全てに広がった人間達の世界いの混沌、一体神は現代の人間達をどう捉えるのか、と言った神へのメッセージとも取れなくも無いです
しかし一番妥当な受け取り方は、現代の混沌とした世界を聖書に出てくるバベルを通して描いて見せた、現代社会への警告って所でしょうか
しかしながら現代における世界の一面を表したということで、これが世界の全てではないだけにメッセージとしてはやや広すぎたかなと言う感じです
全体的な感想はこんなところです
個人的に気になった点はといえば、聖書を題材にしているわけですが、日本人としては馴染みが薄いだけに想像する事はできましたが、それを通してリアルに感じる事は無かったです
現代社会の混沌を描くのだとしても、日本人にとっては聖書ではなくもっと他の媒体を題材にした方がしっくりくるかもしれないです
次に気になるのは聾唖の少女
他者とのコミュニケーションと言う視点では確かに聾唖と言うハンディキャップは大きいものでしょうが、あえて聾唖である必要性が感じられないんです
つまり少女は他者とのコミュニケーションに飢えているのですが
その理由がはっきりとしないんですよね
聾唖であるからと言うのであれば、別に世界の混沌とは関係無いわけで、そもそも言葉の違いによるコミュニケーションとは別の問題だと思います
日本編以外では国の違いという物がはっきり描かれていますが、日本編ではあくまでも日本国内の物語ですし、その中で言葉を持たない少女と言う、他者との違いを設定したかったのかもしれないですが、言葉が喋れる方がより他者とのコミュニケーションを取れないと言う点では効果的じゃなかったのかと思います
日本編が物語で大きなウェイトを占めているだけに、主人公の少女の設定が引っかかってしまいました
あとこれは仕方が無いんでしょうが・・・
菊池凛子がどうしても高校生に見えなかった・・・
って所で俺的には可も無く不可もなくって作品でした
ネトゲ復帰
数えるのも嫌になりつつありますが本日が誕生日です艾です。
さてタイトル通り、このたびネトゲに復帰いたしました
実は1ヶ月ほど前から復帰していたのですが
まあ発表はキリのイイ誕生日にでも
とかは考えてもいなく、単なる思いつきです
引退時にアレだけネトゲについてアーダコーダと考えを吐露し
もはや自分の中でのネトゲは終わったとか言い切ってたのに
まあ復帰です
あっはっは
てな所で気になる復帰ゲームはというと。。。。
virtual FX
です
FFXじゃーないですFXです
URLは
http://www.virtualfx.jp/
ここね

そう外国為替取引ゲームです
俺の復帰を望んでいる極極一部の方には申し訳なかですが
MMOとかはもうやら無いんで
まあ彼女ができて
『ネトゲ一緒にやろうよぅ~ウフン』
とか言われたら復帰するかもしれないけど(ナンジャソリャ
まあこの外国為替ゲームが一般的に言うオンラインゲームかどうかはさておき
俺的にはゲーム感覚で遊んでますです
って言うかもうすぐ口座開設して本気でやりますが(*´∀`*)
てか面白いよコレ