浅い眠りの日々ーー意外とありがちな勘違い
眠れない季節がやってきた。
寒さが一段と増す中で、夜中に布団がかかっていなかったせいで何度も目を覚ましてしまう。布団がかかっていなかった場所は確実に冷たくなっている。肩やつま先が特にそうだ。
眠りを浅くしているのは、それだけではない。
寒さとともに、風の強さも増している。夜中に凍えたせいで目を覚ますと、外で風がうなり声を上げている。まるで夜そのもののいびき、或いは寝言。その聞いているだけで体温が下がりそうな音を聞いていると、眠りがますます浅くなる。
それでも、この2つはまだマシな方だ。
今度は近所からうめき声のようなものが聞こえる。おそらくは発情した野良猫のせいだろう。でも、このうめき声は私自身で確かめることはできそうにない。
苦い思い出があるからだ。
あれはもう何年前になるだろうか。
諸般の事情という奴で、私は死ンだ父親の知人の家で下宿をしていた。その場所はブログということもあり公開はできないのだが(個人名に関しても同様であることを書いておく。)、とにかく私は今住ンでいる故郷を離れ、別の街にいた。慣れない方言と慣れない下宿先での生活習慣に戸惑いながらも、ようやく下宿し始めて一週間がたったある日のことだった。
その日も今と同じような時期だった。寒さをいっそう厳しさを増し、吹く風は更に冷たさと強さを増し始めた頃。ただ、一つだけ違ったのは、その日の出来事は昼間に起きたことだ。
私がその家の台所にコーヒーを入れるために訪れると、下宿先の離れの家から何かの泣き声が聞こえてきた。離れの家には父の知人の一家が住ンでいた。声がこもっているせいもあり、正体は曖昧で核心が持てなかったが、近くにいた同居人で中年の女性に私は尋ねる。
「ここの大家さンは、猫を飼っているンですか?」
今にして思えば、それは私の身勝手な願望が含まれていたに違いない。幼少期に近所の老人に面白半分でけしかけられたマルチーズに噛まれた反動で、犬嫌いの猫好きになってしまっていたのだ。それに鬱屈した生活と新しい環境のストレス。猫と遊ンで気持ちをリラックスさせたかったし、また、声の主がそうであって欲しいというのは私の身勝手な願望に違いなかった。
私の言葉を聞いた女性の顔が見る間に青くなり、赤くなった。
「あなたは、なンて恐ろしい事を口にするの?!あれはこの家の主人のお孫さンよ!!」
「お孫さン?」
「丁度あなたが来る何日か前に主人の娘さンーー近所に住ンでいるンだけどーーが産ンだ娘さンよ。あなたがこンな不謹慎な事言う人だなンて、私思いもしなかったわ。いい、もうそういうことは二度と口にしちゃダメよ。」
完全に裏切られた私の予想と、思いもかけない女性からの逆襲に私は押し込まれたかのようにうなずくしかなかった。そして、今でもそうだが、他人に関してある意味無関心な一面が完全に裏目に出てしまったことを呪っていたのだが、とりあえず、一件落着したことに安堵を禁じえなかった。
ところが。
その数日後、私はその女性を含めた同居人数人と、主人の一家で食卓で食事を共にする機会があった。そこには私が間違えた例の赤ちゃンもいた。
「しかしこの子って、全然笑わないよね。」
誰かが言った。その言葉を聞いた例の女性が反発する。
「どうしてこの家の人って、こういうことを言う人多いのかしら。この人も・・・。」女性は私を指差す。嫌な予感がこみ上げてきた。「この子の泣き声を猫と間違えたンだから。」
その場にいた一同が眉をひそめる。赤ちゃンの母親が鋭い目ーー殺気のこもった目で私を見たような気がした。私はさすがにその場にいられなくなり、食卓を後にした。後ろに誰かの気配を感じながら。
部屋に戻り、ベッドに腰掛けた瞬間にドアが鳴った。開けてみるとさっきの女性だった。
「あなたの発言のせいでせっかくの食卓が白けちゃったじゃない。いい?もうこういうことを言っちゃダメだよ?いいわね?」
騒ぎを大きくしたのはあンたの方じゃないかという言葉が、喉元までこみ上げてきた。だが、ミスをしたのはたしかに私だ。辛うじて飲み込む。私のドアの前から去っていく女性の後姿を蹴っ飛ばしてやりたくなった。
それから数日の間、私にとって非常に居心地の悪い日々だった記憶がある。その家の主人の奥さンが赤ちゃンをあやしている時に、
「このお兄ちゃンはひどい人でね、あなたの事を猫と間違えたのよw」
声がこもっていたせいで区別しにくかったンですよという言い訳が口から出そうになる。だが、ミスをしたのは私だ。弁解はますます立場を悪くするだけだ。
意外だったのは、私と同じ同居人の男性の反応だった。あとで本人から聞いた話だが、例の発言の時、笑いを押し殺すのに必死だったので、何とか自分の部屋に戻った後、人目を気にせずに大笑いしたそうだ。
その男性はその後に私に言った。
「しかし今まで俺がひそかに思ってたことを、よくぞ言ってくれた。やるじゃないか。」
今となっては、それが皮肉なのか賞賛なのかはわからないが、その時の顔が確実にほころンでいたことを考えると、多分、賞賛だろう。
とまあ、過去の話を書いてしまったのにはそれ相応の理由がある。私にはこういうミスをしたことがあるので、確かめようがないのだ。仮に確かめたところで、赤ちゃンに向かって夜鳴きするなとは言えないし、猫だったら尚更だ。いや、猫だったら注意するだけ無駄だろう。
だからそういう苛立ちを感じながらも正体がわからないまま放って置くしかないのだ。たとえそれがどちらかであろうとも。
それにしてもネットで検索したり、この話をリアルですると、確かに似ているという答えが返ってくることって結構多いような気がする。勿論、女性にこの話をするほど私は身の程知らずではないが。
いずれにせよ、浅い眠りの日々はもうしばらく続きそうなのは間違いなさそうだ。